地主様向けお役立ち情報

その土地、貸すか売るか買うか

地主の不動産問題といっても、具体的にはどのようなものかは実際に直面してみないと解らないものです。

今回のお話は、借地整理と親族間売買をテーマに扱いました。

登場人物を自分に置き換えていただくなどして、不動産・相続対策において参考になれば幸いです。

≪記事を読むのに約10分かかります≫

 

【目次】

プロローグ

兄の土地

貸すか、売るか、買うか。

兄と弟

交渉

エピローグ

 

■プロローグ

鈴木茂雄(82歳)は、かつて兄と会社を設立、スーパーマーケットを共同で経営していた。だが、近隣への大型食料品店の進出やコンビニの増加によって売上げが減少、さらに息子らが継がなかったことから、十数年前にスーパーマーケットは廃業した。その後は、兄と一緒に経営していたスーパーマーケットの会社が所有している店舗跡地の土地や自分の所有するアパート等の賃貸収入などで生活していた。一時は都内23区で複数店舗を展開していた時期もあり、賃料収入はそれなりに安定していた。

ただ、会社員をしていた長男が定年を迎えたのをきっかけに、自分の死後のことも考えるようになった茂雄は、人生の最期に向けた準備、いわゆる終活を始める気になった。まずは相続財産を確認しようと、会社や自分が所有する不動産の登記簿や権利証、さらに預金通帳などを整理していた。

と、そこへ、兄・辰雄(84歳)から電話が掛かってきた。

 

「茂雄か。あのな、山﨑という人、えっと、俺の土地を貸している借地人なんだけど、その人から家をリフォームしたいので承諾してくれという手紙がきたんだ」

「リフォームの承諾?」

「借地に建ってる自分の家を建て替えたいんで、承諾してくれというんだよ」

「兄さんの貸している借地って、どこ?」

「えっとな、東池袋駅の近くの30㎡くらいのアレだよ」

「あー、ちょっと待って。ちょうど今、俺の方も、会社の土地の登記簿とか出して調べものをしてたところだから、その登記簿もあるかも」そういって、背表紙を確かめながら1冊のファイルを取り、そのページを繰った。

「あ、これだな。豊島区の・・・・」

「そうそう。それ」

「この土地でリフォームの承諾ねえ」

「で、どうしたものかと思って、電話してみたわけよ」

 

茂雄の2つ歳上の兄・辰雄は、欲がないといえば聞こえはいいが、自分の財産管理についてはやや無頓着なところがあった。スーパーマーケットを経営していた当時も、仕入れや従業員の掌握などは率先して自分でやっていたものの、帳簿の管理や金銭面にはあまり関心を示さず、商品の値付けや従業員への給料などについて時々茂雄と言い合いになったりもした。もっとも、そうした時はたいてい兄・辰雄が折れ、茂雄の言うとおりに事を運んでくれたものだ。そんな兄を、茂雄は嫌いでなかった。思えば、子供の頃から自分には優しく、ケンカもよくしたが、ガラス窓を割ったり、つまみ食いをして怒られそうになると、2人でやったことなのに、俺がやったと言って兄がかばってくれたこともあった。

 

「わかった。じゃあ、週末の午後にそっちへ行くから、その時に、借地人からの手紙とかも見せてよ。あと、その土地の賃貸借契約書も探しておいて」

「おお。待ってるから」

茂雄は、電話を切ると、ノートPCの電源を入れ、「借地借家法」と入力して検索を始めた。会社所有の土地の賃貸管理をしているので、土地や建物の賃貸借については借地借家法が定めていることくらいは知っていた。ただ、決して詳しいわけではなかった。何だかんだと借地人が保護されてるけど、又貸ししたり建替については貸主の承諾が必要だったんだよな。そんなことを考えながら、借地借家法の条文を掲載したページを開いた。

■兄の土地

その週末の午後、茂雄は、兄の家に向かう途中、兄が賃貸している豊島区の土地を現地で確認した。そこには、2階建の木造住宅が建っていた。兄の言ったとおり「山﨑」という表札が掛かっており、かなり古い建物だった。これなら、建て替えたいと思うのも無理はないな。誰の目からもそれは明らかだった。

 

「まあ、座れ」兄に促され、茂雄はダイニング・キッチンの椅子に腰を下ろした。テーブルの上には、封筒が置いてあった。ひっくり返してみると、差出人に山﨑とある。

「これかい。例の手紙は?」

「そう」

「読んでいいか」

「もちろん」

手紙は、無難な時候の挨拶から始まり、建物が老朽化したので建替えをしたいので、借地借家法17条に基づく承諾が欲しいという内容だ。読み終わると、辰雄に尋ねた。

「ところで、賃料はどうなの。ちゃんと支払われてるの?」

「ああ、ちゃんと賃料は入ってるよ。」

「そう。で、賃料は幾らだい?」

「そうか。契約書だったな。ちゃんと探しておいたぞ。ちょっと待ってろ」そういうと、部屋を出て行った。

出された茶をすすると、これがなかなか美味い。薫りも良い。兄は、何故か昔から茶は良いものを買っていた。そういえば、スーパーでもお茶はよく売れたなあ、そんなことを思いながら室内を見回すと、兄夫婦が娘夫婦2組と孫3人と撮った家族9人がにっこりと笑った写真が飾られていた。背景はどこかの海だ。誰に撮って貰ったのかは知らないが、家族旅行の写真だろう。孫と一緒に旅行か、兄さんは、こういうことにはマメなんだよな。そんなことを考えていると、兄・辰雄が戻ってきた。

テーブルの上に賃貸借契約書を置いた。古びた契約書で手書き文字だ。契約の締結日は昭和48年(1973年)。借地権の契約期間は20年。

これは、辰雄・茂雄兄弟の父が締結したものだった。

平成5年(1993年)の更新の際には、更新料400万円を支払った旨の領収書のコピーと賃料を現在の額である月額2万5000円とする覚書もあった。ここまでは父親名義である。平成17年(2005年)に父親がなくなり、遺産分割でその土地は兄・辰雄が相続した。

茂雄は、それらの書類を見ながら、兄に尋ねた。

「契約書によれば、20年ごとの更新だから、平成25年に更新したはずだけど、その時の更新料は?」

「貰ってない。忘れてた。俺も、さっき、それを親父の遺品の中から引っ張り出してみて、20年ごとの更新なんて、初めて知った」兄が答えた。

「兄さんも人が良すぎはしないか」半ば呆れつつも、ありそうなことだと茂雄は思った。スーパーマーケットを閉めた後も、会社が保有している不動産からの収入がそれ相応に兄や自分に入っていた。特に生活に困るようなことはなかったから、毎月2万5000円の賃料が振り込まれてくれば、特に気にしていなかったというのも、兄の性格からすれば十分ありそうなことだった。

「兄さん、あそこは地下鉄の駅からも近い立地だし、周囲もかなり便利になってるよ。今どき、月額2万5000円という賃料は少し安すぎないか」茂雄が言うと、「そういうものか」と辰雄が答えた。

「いや、こういうことは、昔からお前に任せていたものだから、ついな」

ここで、兄に説教してみても始まらない。茂雄は契約書や登記簿を睨みながら、腕組みをして考え込んだ。たとえ賃貸人と賃借人で更新契約をしていなくとも、いわゆる法定更新で、賃貸借契約はそのまま継続する。借地借家法でそうなっている。

「賃料が安いのなら、値上げとかできないものなのか?」兄が尋ねた。

「まあ、できないこともないけど、継続賃料というのは、それまでの賃料からあまりかけ離れた額に値上げができないんだよ。会社の持ってる土地で値上げ交渉したことあるのだけど、頑張っても2割くらいしか上がらなかったな。この土地の場合、今は月額2万5000円だからせいぜい30,000円だな」

「そっか、じゃあ、今の賃借人には出てってもらって、新しく月額50,000円くらいで契約すればいいか」兄が暢気な声で言った。

「ちょっと待ってよ」これだから兄貴は…、そんな思いで茂雄は言葉を継いだ。

「一旦貸した土地というのは、そう簡単には返してもらえないものなんだよ。法律でそうなってるんだよ」

「面倒臭いな。何でだよ」

「いや、借りてる方にしてみれば、そう簡単に土地や家から追い出されたら、路頭に迷っちまうだろ。だから、法律が保護しているという建前なのさ」

「貸している方にしてみれば迷惑な話だな。でもよお、絶対に返してもらえないというわけでもないんだろ?」

「いや、まあ、そうなんだろうけど、俺も立退きの交渉まではしたことないからなぁ」

「だったら、弁護士でも頼むか?」

「弁護士?まだ早いんじゃないか、弁護士に頼むってのは。金もかかるだろうし。かといって、不動産屋に相談してみてもなぁ」会社の所有不動産の管理をやっていた茂雄にしてみれば、街の不動産屋ができることとできないことは概ね察しが付いていた。

「まあ、俺としちゃあ、別に立ち退いてもらわなくても、賃料が上がるなら、それでいいんだけどね」兄が言う。

「というか、その前に、この承諾をどうするか、だろ?」

「そうだな」

「迂闊に承諾して新しい家を建てられると、もっと返してもらい難くなったりしそうだしな」

思いのほか、面倒なことになったな、茂雄は思った。しかし、その一方で、こういう場合はどうなるのか、どうしたらいいのか、好奇心も湧いてきた。

「わかった。兄さん、この件、俺に預けてくれないか?ちょっと、いろいろと考えてみるわ。その契約書も貸してくれ」

「おっと、そうこなくちゃ」辰雄はそそくさと書類をまとめると封筒に収め、茂雄に差し出した。

「まったく、調子がいいな。兄さんは」茂雄は苦笑いするしかなかった。

 

自宅に帰った茂雄は、契約書を見ながら、問題点を整理してみた。まずは、承諾したら、どうなるのか。そして、賃料を上げることができるのか。上げられるとしたら幾らくらいか。賃借人を立ち退かせることはできるか。だいたい問題を挙げれば、こんなところである。

茂雄はノートPCで、「増改築 承諾」「賃料 値上げ」「賃料交渉」「借地人 立退き請求」思いつくところから、ネットで検索をかけてみた。

「ほお、増改築の承諾をするには承諾料をとれるのか。立退きは立退料を払うことになるのか」そんなことを思いながら、検索を続けていると、不動産鑑定士が賃料の相場や更新料について解説する動画を見つけた。

「ほお。不動産鑑定士は、不動産の値段だけでなく、賃料や更新料についても鑑定するのか。ということは、承諾料についても相談できるかもな。そうか。不動産鑑定士がいいかも」

そう考えた茂雄は、動画で更新料の説明をしていた鑑定士事務所に電話をかけた。

■貸すか、売るか、買うか。

茂雄が訪れた不動産鑑定士の事務所は、都内ビルの4階にあり、大手の事務所という感じではなく、こぢんまりとしていた。「不動産コンサルティングマスター」という看板もあり、不動産の鑑定だけでなく、さまざまな相談にのってくれそうである。女性の事務員が応接室に通してくれた。

所長と名乗る人物が間もなくやってきて、名刺を差し出し挨拶を済ますと、すぐに用件を切り出してきた。

「お電話でお伺いした限りでは、お兄様が賃貸されてる土地に関して、借地人から増改築の承諾を求める連絡があったとか。それで、承諾料の相場についてのご相談ということでしたが」

「その上で、賃料の値上げというのはできないものなのでしょうか?」

「その点は、お電話でも簡単にご説明しましたように、やはり、契約の更新に伴う継続賃料となりますと、値上げも限度があります。それに、相手方が承諾しない場合は、調停などの裁判上の手続きにもなりますし」茂雄は、既に概ね知っていたことではあったが、念の為、電話した際に、そのことについて訊ねていたのである。

「そうでしたね。では、賃貸借の解約はどうでしょうか」

「原則として、貸主側からの中途解約はできません。賃料の不払い等があれば別ですが。なので、解約するなら次の更新時に更新拒絶をすることになります。ただ、その場合でも、更新拒絶するには正当事由が必要となります。借地借家法で借地人は保護されていますので」

「そうですか・・・」落胆した声だった。やはりな、茂雄は、そう思わざるを得なかった。

「ちなみに、賃貸借契約を解約された後は、どうするお考えなのですか」鑑定士が尋ねた。

「もちろん、より高い賃料で貸したいと」

「そうですか」そこで一拍おいて、鑑定士は話しを続けた。

「ところで、お電話では、相続のことも考えて、いわゆる終活として、財産の見直しを行っていたとお話しされていましたが」

「いや、それは私のことで、兄のことではありません」

「失礼ですが、弟である鈴木様が相続のことを考えておられるのであれば、当然、歳上のお兄様もそうしたことを考えてもよろしいのでは?」

「仰るとおりです。私も兄も既に80を超えていますし」

「80歳を超えておられるのですか。足腰もしっかりしたご様子で、見たところ、まだ70代かと思ってました」

「いやいや、10年以上前に仕事をやめて隠居暮らしで体力が余ってるのかもしれません」

たしかに、俺たち兄弟は健康だけが取り柄みたいなものだしな。そんなことを思い、苦笑いしながら話しを続けた。

「で、相続のことですが、兄は、そこまで考えていないと思います。まあ、なんというか、経済的なことに疎いと申しましょうか。大雑把というか、なるようになる程度にしか考えていないのではないかと」

そこで、ふと言葉が止まった。鑑定士は、茂雄が何か言葉を続けようとしているかのように感じ、次の言葉を待つことにした。少しして茂雄が言葉を継いだ。

「あの、もし、相続のことを考えるとしたら、こうした場合には、どうするのが良いのでしょうか。ここの入り口にあった看板に、不動産コンサルなんとかと書いてありましたが、不動産の鑑定以外のご相談にものっていただけるかのようにも思えましたが」

「はい。不動産周りのご相談事でしたら、相続や賃貸等に関するものを含め、できる限りお手伝いさせていただいております」

「そうですか。実は、兄には娘が2人いまして、私からみれば姪っ子ですが、昔は可愛くてね、おっと、話しが逸れた」おじさんおじさんと懐いていた子供の頃の姪っ子を思い出し、つい、話しが横路に逸れそうになったが、思い直して話しを続けた。

「その娘さんたちや奥さんに、他人に賃貸した土地を遺すのもどうか、という気がするのです。今回の件だって、そもそもは、父から相続した借地について兄が無頓着だったことが原因ですし」

「賃貸した土地を遺したくない。そして、娘さんたちがその土地を使わないのであれば、売却することですね。

土地は、遺言で誰に相続させるか指定しない限り、相続人、この場合は2人の娘さんと奥様ということになりますが、その共有ということになります。

共有というのは後々、いろいろと面倒なことになるケースが珍しくありません。賃貸しても、賃料は共有者で分け合うことになるので各人が受け取る額は少なくなって、賃貸管理にも関心を失いがちになりますし。娘さんも結婚なさっていれば、旦那さんの意向も無視できなかったりもしますし」鑑定士はゆっくりと説明した。

「ですよね。兄の立場としても、少ない賃料しか取れない土地よりも、現金の方が何かと便利といいますか」

「だと思います。余生を過ごす資金も多いに越したことはありません。それに、相続される娘さんや奥様にとっても、現金の方が分けやすいので不動産を残されるよりありがたいという一面もあるかと」

「ならば、やっぱり売却した方がいいですね」

「となると…賃貸借契約書や登記簿を見せていただけませんか」鑑定士は何か思うところがあるようだった。

「はい」良い方法があるのか、茂雄は期待して、兄から預かった封筒を差し出した。

鑑定士は、中の書類を取り出すと、読み始めた。

「ずいぶん前に賃貸借契約を締結されてますね」

「はい。父の代に貸したものですので」

「借地の期間は20年。そうすると、これまで平成5年、平成25年と2回更新されてるわけですね。ああ、平成5年の時は更新料を400万円もらっておられるようで」鑑定士は、同封されていた更新時の覚書を見ながら言った。

「で、平成25年の時はいかがされたのですか。更新の覚書は、この平成5年のしかありませんが」

「はい。兄が更新手続を忘れていたようでして。平成5年の時は亡くなった父が貸主でしたからちゃんと更新したのですが、この土地を相続した兄はそうしたことには無頓着ですから」茂雄は、少し恥ずかしそうに言った。

「つまり、平成25年の更新の時は更新料を受け取らないまま、法定更新になったというわけですか。そして、次の更新は、令和15年ですね。更新拒絶するにしても10年先となりますとねえ」鑑定士は、話しながら、いろいろとメモを取っているようだった。

「解約以外に何か良い方法がありますか?」茂雄はおそるおそる訊いてみた。

「借地権を買い取るという方法があります」

「借地権を買い取る?」茂雄の顔が明るくなった。

■兄と弟

それから10日後、茂雄は再び、兄・辰雄の元を訪れていた。

「いやいや、兄さん、不動産鑑定士に鑑定して貰ったのだけど、あの土地、兄さんが貸してる土地、1億円だってさ」茂雄は、何やら自分の手柄のように声が少し上ずっていた。

「おい、1億円って、承諾料がか?」辰雄が驚いて大きな声になった。

「違う違う。土地の鑑定価格がだよ」

「まあ、そうだろうな」辰雄は少しガッカリしたように、椅子に座り直した。

「それでだ、これを見て」茂雄は、長方形の中央に点線が引かれ、その上部に「借地権7000万円」、点線の下に「底地権3000万円」と書かれた紙を差し出した。鑑定士から貰ったものだ。

「つまりさ、土地の価値と一緒に借地権と底地権について調べてもらったわけ。で、この四角が、あの豊島区の土地の値段が1億円な。その土地に借地権がある」そう言いながら、点線の上の借地権という文字を指さす。

続けて「借地権はこの土地を利用する権利で7000万円の価値がある」と言いながら、底地権という文字を指した。

辰雄も、身を乗り出して茂雄の指さしている紙をのぞき込んでいた。

「それで、兄さんはこの土地の所有者なんだけど、貸してるので土地を使う権利はなくて、そこから賃料を受け取る権利を持ってる。それが底地権てわけだ」

「借地権が7000万円で底地が3000万円か。なんだよ、所有者なのに、この底地権という方が安いのかよ」辰雄は不満げな顔で言った。

「まあ、そう言うなって。土地は使う権利の方が価値があるもんなんだよ。法律で借地人の権限が強いからさ」

「そういうものか、仕方ねーなー」またもガッカリした様子で、辰雄は再び椅子に座り直した。

「で、承諾料はどうなったの?それを訊きに不動産鑑定士のとこに行ったんじゃないのか」ぶっきらぼうな口調で辰雄が訊ねた。

「そこなんだよ。兄さんも俺も既に80歳を超えてるし、まあ、お互い身体はそこそこ動くし、大病もしてないけど、10年先となると、まあ、何があってもおかしくはないわな」

「そりゃそうだ。ん、あー、そうか」辰雄も何か察したようだった。

「この借地を娘らが相続してもなー。面倒くさいだけだよな。となれば、売ろう。そっか。この底地権を売ればいいのか。やっぱり借地人に買って貰うのがいいかもな、なるほど、なるほど」辰雄の顔が華やいできた。

「いやいやいや、話しはここから、なんだよ」茂雄の顔が神妙になった。

「というと?」

「不動産鑑定士が言うには、23区内の土地だし、地下鉄の駅も近いし、間違いなく鑑定価格以上で売れるって言うんだよ。となれば、この土地の所有権を借地人に渡してしまうのも癪な話しじゃないか」

「そりゃ、そうだ」辰雄は頷いた。

「そこで、だ。こっちで、この借地権を買うのさ。で、この土地を売却する。そうすれば、兄さんには1億円以上の金が入ると。そうなったら、俺にも少しくらいは手間賃をくれよなあ」

「ん~」辰雄の眉間に皺が寄った。

「いや、手間賃たって、少しでいいんだよ」茂雄は慌てて言った。

「別にシゲに手間賃を出すのはいいんだよ。そうじゃなくてさ、借地権を買うってことは、俺が7000万円出さなきゃならないということか?」

「まあ、そういうことだな。兄さんだって、それなりの蓄えはあるだろう。店を止めた後にそれなりに分けたんだし。アパートだって持ってるんだし。それに、ヨウちゃんはともかくタカちゃんは夫婦揃って医者だし。借りられないこともないだろう。俺だって貸すよ。売れれば返して貰えるわけだし」

辰雄の次女、洋子は大学教授で、長女の貴子は医師だった。辰雄は、いつもトンビがタカを生んだ、と言っていた。実際、そんな事を期待して、長女に貴子と名付けたのだ。俺の思ったとおりになったと、辰雄にとっては自慢の娘たちだった。

「いやまあ、そうかもしれんけど、貴子は私立の医大なんかに行ったもんだから、学費もバカにならなかったし。洋子は洋子で、奨学金をもらって留学したりしたけど、結局、その奨学金は俺が返済したしさ」

「ヨウちゃんの奨学金を返済してやったのか。相変わらず娘には甘いねえ」茂雄は半ばあきれ顔で言った。

「いやまあ、それはずいぶん前の話さ。男の子しかいないシゲには解らないよ」

「そんなこたぁないよ。俺だって、タカちゃんやヨウちゃんは可愛い姪っ子だしな。兄さんの気持ちも分からなくもない」

「それにさ、貴子の方も、旦那と一緒に開業した医院で何やら設備を新しくして改装したいというんだ。それがまたやたらと金がかかるらしいんだ。この前、そのことで、うちにも来たんだよ」

「そうか。病院だもんな。金もかかるんだろう」

「つまりは、そんなこんなで、貴子も物要りで金を借りるなんてできそうもないし、洋子だって大学教授だといっても給料は特段に良いわけじゃないし。本を書いても、何百万も印税が入るような本でもないし。おいそれと千万単位の金を用意することは難しいってことなんだよ」

「じゃあ、底地を売るのか。3000万円で。それ、もしかして、タカちゃんの医院の改装資金に使っちゃったりする?」

「あ、いや、少しくらいは出してやりたいな、とは思うけど・・・幸子がな、ダメだと言うんだよ」実際、1ヶ月程前に娘夫婦が改装資金の相談に来ていたのだ。しかし、辰雄は娘に甘いが、妻はそれを理解してか娘に対してはとても厳しく、医者になってそれなりの収入も蓄えもあるだろうに、身の丈に合ったことをしなさい。足りないなら自力で借金しなさい、とキツく言って返したのだった。

「幸子さんは厳しいからなぁ。そのせいで、ちゃんとした子に育ったようなもんだけどね、あの2人は。両親揃って兄さんみたいだったら、どんな我が儘娘に育ったことやら」実をいうと、女の子がいない茂雄は、娘を猫かわいがりする兄が羨ましくて仕方なかったのである。

「うるせー。とにかくだ。7000万円も用意することは出来ないから、底地を売るしかないな」

「うーん」茂雄は考え込んでしまった。兄がそれでいいと言うのなら、それでもいいような気もするが、1億円以上で売れる土地を、それと知りつつ他人の手に渡すには釈然としないものがあった。

「兄さん、この土地には抵当権とかはなかったよな」

「この前、登記簿を渡したろ。ないよ」

「あのさ、俺が買ってもいいかな」おそるおそる茂雄が訊ねた。

「シゲが買うの?借地権を」辰雄は驚いた。

「そう。俺が借地権を買う。さすがに7000万円をポンと出すとなると俺もキツいけど、その土地に抵当権を設定すれば銀行も金を貸すだろうし。無理すれば何とかならなくもないと思うので。その後に、兄さんの底地と一緒に売った方がいいかなーと」

「俺の土地に抵当権を設定するつもりか?」

「結局、土地は売るんだから、その時に返済できるし」

「そうか。売れるか。大丈夫か?」

「売れると思うよ。23区内の土地で、地下鉄の駅からも近いし。それに、本来、兄さんが買うべき借地権だよ」

「そういえばそうだ。売った金のうちから俺は底地分をもらうということか。1億以上で売れれば、お互い相応に色が付くことになるもんな」

「そうしよう」2人の話しはまとまった。

■交渉

数日後、茂雄は再び、件の鑑定士の事務所を訪ねた。

「…ということで、借地権は私が買うことになりました」

「そうですか。借地人との交渉はどうしますか、ご自身で?」

「特に借地人と面識があるわけでもありませんので、あの、そちらにお願いできませんでしょうか。無論、その手数料等はお支払い致しますので」

「もちろん構いません。お手伝い致します」鑑定士はにこやかに応えた。

「そこで、ですね。先日の鑑定の結果では、借地権が7000万円ということでしたが、もう少し、まあ、できれば4000万円程度にはなりませんでしょうか?兄に更新料を支払っていないということもありますし」茂雄も、いざ商談となると、できるだけ安くしたいという思惑が出てくる。

「いや、さすがに4000万円というのは厳しいとは思いますが、その更新料を支払っていないということも含めて、鑑定価格である7000万円から下げる方策はあるかと」

「と、申しますと」茂雄は思わず乗り出した。

「この場合、地主が買うわけではありませんので、借地を譲渡するには地主の譲渡承諾が必要となります。その際の承諾料の相場は、概ね借地権価格の10%というところですね。それを差し引くことが考えられます。本来なら、お兄様が受け取る額となる訳ですけど、その辺りはお兄様と相談してもらえれば」

「その点は大丈夫だと思います。だいたい兄が買えないというので、私が代わりに買うのですし」

「それと、先日のお話しでは、お兄様が現在住んでおられる家は、ご兄弟の会社の所有だとか」鑑定士は手帳を見ながら言った。

「そうなんです。まあ、昔からそうだったんですけどね。それが何か?」

「つまり、お兄様には持ち家がないということですね。だとすれば、10年後にそれを理由に更新拒絶をする理由になります。地主自身がその土地に自宅を建てたい、要は地主がその土地を使用する必要があるということは、更新拒絶をする正当事由になり得るかと。それに、前回の更新時に更新料を支払ってないということも、正当事由を補完する理由になる余地があります。ですから、お兄様が10年後には解約する意向であるということになれば、10年後には解約される可能性が高い借地権ということになりますので、これもまた借地権価格を下げる要因になります」

「なるほど。10年で終わる借地権は価値が下がるということですね」

「あくまでも、そうした事情が正当事由になるかどうかは最終的には裁判所が決めることですが、不動産評価の観点からは、そういうことです。こうした理由で交渉する余地は十分あるかと。であれば、あの土地に建つ建物をリフォームするというのは難しくなりますし、借地権を売却する方向になる可能性が高くもなるでしょう」

「でしたら、その線で、まずは4000万円でどうかと借地人の方へ申し入れていただけませんか。具体的な交渉はお任せします」

「承知致しました」

その後、茂雄は、鑑定士と借地権買取のための契約内容等の打合せをして、事務所を辞した。

茂雄は安堵した。だが、それからが意外に時間がかかった。というのも、借地人の方へ書面で借地権の買取りを申し入れると、相手は弁護士を間に入れたという。鑑定士の下に弁護士から連絡がきたらしい。茂雄にしてみれば解らなくもない。借地権を売るということは、借地人にしてみれば移転先も必要になるのだから、いろいろと面倒なことにもなるだろう。とはいえ、10年後には正当事由のある更新拒絶をする予定である以上、改築の承諾はしない。となれば、改築が必要な家から離れることについてはさほど躊躇う理由はないように思われた。蛇の道は蛇ともいう。不動産のことであれば、あの鑑定士に委せておけば弁護士も説得してくれそうな気がしていた。

結局、借地権の買取りを申し入れてから約1ヶ月半後、相手方の弁護士から、5000万円ではどうか、という回答があった。むろん、茂雄としては、7000万円を想定していたのだから、その3割近くの減額となればしめたものだ。OKした。

そして、借地人の山﨑氏と借地権売買の契約を締結し、手付けとして代金の10%、500万円を支払った。土地は、更地渡しとなった。その方が売却時に高く売れるからだ。

しかし、更地渡しとしたことが、次の課題を生んだ。借地上に借地人名義の建物があれば、借地権は対抗力をもつ。つまり、誰に対しても借地権を主張できるということだ。地主が他の者に賃貸しても、自分の借地権が優先すると主張できるのだ。もっとも、兄がそんなことをするとは思えないが、誰かに騙されるなんてことも考えられなくもないし、鑑定士が言うには、売却するには、やはり借地ではない方が良いらしい。ならば、兄から底地権を買えばよい。底地を買えば、晴れて更地が自分の所有となるのだから、金融機関からの借入もし易いというものだ。

茂雄は、兄から底地を買い取る価格について、件の鑑定士に相談した。

「まあ、今回の件では私が身銭を切って借地権を買った訳ですし、兄も底地権の価格については多少考えてくれるでしょう」

「いや、それがですね」鑑定士が、少し真剣になった。

「なにか?」

「お兄様との取引となると、それは親族間売買となるのですよ」

「親族間売買?」

「そうです。親族間の取引ですと、いろいろと口裏を合わせて不動産の名義を移して、それによって相続税や贈与税逃れに使われることが多いものですから、税務署の目が厳しくなるのですよ」

「というと?」

「例えば5000万円のマンションを2000万円で兄弟や親子間で取引すると、税務署から”みなし贈与”として課税されてしまいます」

「さすがに、そこまで安くしてもらおうとは思ってませんよ。むしろ兄だから高めにして欲しいくらいです」

「では、基本的には高くするとしても、先日の鑑定価格からの5%程度高い価格が穏当かと」

「3150万円あたり、ということですか」

「そうですね。決済と同時に、底地権を鈴木茂雄様名義にして抵当権を設定、金融機関から融資を受けて、そこからお兄様に支払うという形がベストかと」

「もう少し高くしてもらおうとは思ったのですけど、私が借地権を買う時に兄が受け取るべき承諾料の分で借地権価格を値引きしたわけですし」

■エピローグ

「そうか、そうか。3150万円も俺にくれるか」辰雄はにこにこしながら言った。

「そうだよ。それと、決済の日が決まったら絶対に顔を出すように。俺と兄貴との契約なんだから、俺に委すって訳にはいかないからな」

「わかった、わかった」

「いやあ、年間30万円にしかならなかった土地が3000万円以上になるのか、何年分だ。えーっと、100年分か」

「でも、あの土地が高く売れても、兄貴への分け前は無いからね」

「わかってるって」

「自分の終活をしようとしてたら、結局、兄貴の終活をしてしまったようなもんだよ」

茂雄は少しぶっきらぼうに言った。むろん、別に不機嫌な訳ではない。こうも素直に喜ばれると、人をこき使いやがってと、嫌みの1つでも言ってやろうかと思ってた気持ちも萎えてしまった。思えば、昭和から平成にかけて2人でやってたスーパーマーケットもあれだけ売上げを伸ばしたのは、こういう兄の人の良さもあったのかもなぁ、そんな気すらしてきた。

あとは、兄から買った、あの土地をどう高く売るかであった。

「まあ、まあ、難しい顔してないで、茶でも飲め」そういうと、兄が薫りの良いお茶を煎れてくれた。

 

終わり

 

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執筆:ノリパー先生

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