地主様向けお役立ち情報

相続税の不安(前編)

地主と不動産鑑定士の物語を連載します。
不動産をめぐる相続のよくあるトラブルの一例として、参考になれば幸いです。

 

プロローグ

突然、窓から秋の夕陽が差し込んできた。新宿の高層ビルの狭間から僅かに差し込んだ夕陽が向かいのビルの窓に反射し、雑居ビルの4階にある風間税理士事務所の室内が紅く染まった。

風間良輔は、ハッと目を覚ました。目を覚ますというのは正しくない。目を閉じてはいても、眠っていたわけではなかったからだ。

日曜日の夕暮れ、明日の打合せのために資料内容を確認しようと、風間は自分の事務所に立ち寄ったのである。明日、弁護士の石島雄一と会わねばならない。風間としては大きな仕事の依頼を受けられるかどうかという重要な打合せだった。しかし、まだ決めかねていることが残っていたので、どうすべきか考え込んでいた。

***

明日会う石島雄一は、3ヶ月前に父・大二郎を亡くし、その相続人となった。大二郎は、神奈川県のY市内に20,000㎡以上の土地を所有する大地主であった。風間は、その相続税について雄一から相談を持ちかけられていたのだ。

相続人である石島雄一は、知財、すなわち知的財産権関連の訴訟を専門とする中堅法律事務所のパートナー弁護士である。そのため、特許権や著作権といった知的財産権には明るかったが、不動産や税務等については必ずしも精通している訳ではなかった。無論、弁護士である以上、資産家の父から広大な土地を相続することを念頭に、それ相応の節税対策はしてきた。しかし、さすがに20,000㎡を超える広大な土地の相続である。相続税は数億に上るのは確実である。むろん、父親の代から付き合いのある、顧問税理士というべき大手税理士事務所があったが、その仕事ぶりに不満があるという。そこで、風間を紹介されたらしい。

1週間ほど前に雄一から風間の事務所へ直接電話があり、こうした事情を聴かされた。数億にものぼると思われる相続税に関する相談だということで、その翌日に雄一と会った。場所は、都心にある雄一が務める弁護士事務所。

挨拶を交わした後、風間は、まず誰からの紹介なのかを訊ねた。雄一は、笑いながら「仕事仲間からですよ」と答えただけだった。風間が怪訝そうな顔をすると、雄一は「ま、誰でもいいじゃないですか」と言う。

風間は仙台市の出身であるが、東京の私大の法学部を卒業していた。そのため、東京に弁護士や司法書士などをしている友人や先輩後輩は多くいたので、そのうちの誰かが石島雄一と接点があったのだろう。無理に聞き出さなければならないほどのことではなかったので、そのまま仕事の話しに入った。

 

石島家の相続

「相続税がいくらになるのか、非常に不安なのです」雄一は、真剣な顔で話しを切り出した。

 

彼の父は、20,000㎡を超える土地の所有者であった。相続人は、雄一の他に、母の政恵、妹の一恵、そして養子の雅弘の4人。雅弘は、雄一の長男、被相続人である大二郎の孫だ。

相続税の基礎控除額は相続人の数が多いほど多くなる。そのため、相続税対策として養子縁組がなされることも珍しくない。しかし、石島家の場合は、相続額が多いため相続人が1人増えたからといって大した節税効果はない。雄一が、長男の雅弘を父の大二郎の養子としたのは、後に生ずる雄一から雅弘への相続税を節約しようという意図である。相続税は、相続額が2億円を超えると45%、6億円を超えれば55%となる。いわば、石島家ほどの土地を保有していれば、相続が生ずる度に半分程度を国に削り取られることになる。雄一としては、それがなんとも面白くなかった。

それは金銭的な欲望とは少々違った。雄一は弁護士としてそれ相応の収入を得ており、それ以上の経済的な収入を特段に望んでいるわけではない。しかし、父が祖父から、そして自分が父から受け継いだものが、どんな理由であれ自らの意思で手放すならともかく、相続税という形で強引に半分も削り取られるのに納得できないものを感じていた。

遺産分割協議は、既にまとまっているという。妹はマンション5棟を相続する。マンション建築時の借入金も相当程度残っているため、相続財産全体の10%に満たない額であった。相続税は、妹が受取人になっている亡くなった父を被保険者とする生命保険の受取金で十二分に支払える額に収まる。

母は、自宅を含め全体の2割ほどの不動産を相続した。自宅以外は貸宅地であり、母の老後の生活を支えるに十分な賃料が受け取れる。相続税も、大二郎から相続した現金と有価証券、受取保険金の範囲内で賄える。

問題は、残りの土地を相続した、雄一の長男・雅弘の相続税である。無論、まだ高校生である雅弘が16,000㎡にも及ぶ土地の相続税を支払えるわけがない。支払うのは雄一である。亡父・大二郎の顧問税理士を務めていたのは、大手のユニバーサル税理士事務所であった。そこの担当税理士が言うには、相続税額は5億から6億程度だという。日頃から税務をみている顧問税理士でありながら、そうした曖昧な物言いをすることに、雄一は不満を感じたらしい。一度は、自分で税額を調べようと、国税庁のウェブサイトなどを閲覧してみたが、本業が忙しく十分な時間もなく、不動産について知識の乏しい自分の手に余ると考え、他の税理士に相談しようと決めたというのだ。

「要は、ご長男の、というか実質的にはあなた、石島雄一さんが相続する土地についての相続税額を確認して欲しいということですね」ひととおりの説明を聴き終わった後、風間が答えた。

「ただ…」と、言い難そうに雄一が切り出した。

「顧問税理士であるユニバーサル税理士事務所は父の代からの付き合いでして、母が、今までお世話になったのだから今更、税理士を変えるなんてできないと言うのです。そういうわけで、今ここで税務申告まではお願いできないのです。母には、私が支払う相続税については私が選んだ税理士にまかせたいと言ってはみたのですが、あくまでも石島家の相続なんだからと、母が聞き入れません」

「ユニバーサルさんは大手ですね。そこが顧問税理士をやっているとなると、いったい私は何をすればいいのでしょうか」

風間としてみれば、これまでにない大きな税務申告の仕事になりそうだと期待しながら話しを聴いていたのだが、既に大手事務所が顧問税理士だという。少々拍子抜けというか、がっかりした気分だった。できるだけ、そんな気持ちを表に出さないように気を付けたつもりではあったが、少し声色に出てしまったような気がした。

 

石島家の不動産顧問

「実はですね・・・」と、雄一は、話しを続けた。

石島家の不動産については、30年ほど前から大久保勝夫という男がいろいろと関わっているという。その男は、神奈川県内の建築会社の営業マンとして30年近く前から石島家に出入りするようになり、石島家の土地に、建て替えたものを含めると既に20棟近くマンション等の建物を建てていた。人なつこい丸顔の男で話術が巧みで、雄一の母のお気に入りであった。その上、石島家の土地に建てた建物の多くは、石島家の資産管理会社の所有となっており、大久保は、その資産管理会社の取締役にも名を連ねている。いわば、石島家の不動産顧問といったようなものだという。

税理士事務所は、その大久保の紹介だというのだ。

「その大久保という人は、腕利きの営業マンだったようですね。きっと社内では出世したのでは?」

風間は、だいたい事情が飲み込めてきた。税理士として独立する前、大学卒業後に地元の仙台に帰り、銀行に務めていた。そこで営業マンとしての経験があった。お客の懐に飛び込んで、多くの仕事を取ってくる先輩がいたことを思い出した。

「ええ。彼の会社にしてみれば、うちの土地に建てた建物だけで何だかんだと70億円近くの仕事を会社にもたらしたわけですからねぇ。今では、その建設会社で取締役になっていますよ」

「亡くなったお父様はどう接してたのですか、その大久保という人に」風間は訊ねた。

「父は大手電機メーカーの集積回路の開発に永年携わっていました。祖父が生きていた頃は、父も不動産の管理を自分でいろいろとやろうとしていたようですが、根っからの技術屋だったもので、そもそも不動産についてはあまり関心がなかったようです。祖父が亡くなった頃だったか、大久保さんがうちに出入りするようになってからは、彼にまかせきりでした。まあ、母が、いつもニコニコして話題が豊富な大久保を気に入っていたようなので、父にしてみれば、母にまかせていたといってもいいかもしれませんね。思えば、私は、どちらかという社交的とはいえない、言ってしまえば根暗な性分でしたから、大久保が私と年齢的に近いこともあって、母にはこんな息子だったらいいのに、なんて思いがあったのかもしれませんね」雄一は、ちょっと自嘲気味に言った。

 

報酬は30万円?

「でも、雄一さんは、お父様とは違った道を歩んだんですね」

「ええ、私が進路に悩んだ時に、何故か父は法学部を薦めましたね。今にして思えば、自分が全く知らないことを学ばせたいと思っていたのかもしれません。司法試験に受かったときには、これでうちの財産もお前に任せれば安心だ、なんて言ってました。でも、父の影響もあるのでしょうか、技術系特許の仕事をやるようになってしまって、結果、不動産に疎い弁護士になってしまいましたよ」雄一は苦笑した。

「なるほど。で、とにかく、その大久保さんが紹介した税理士事務所は、お母様の意向もあって、そう簡単にはクビにはできないということですね」

「そういうことです」

「でも、その税理士事務所の仕事ぶりに不安があると?」

「そうです。そこで、風間先生に一度、相続税を試算していただきたいのです。おそらく風間先生なら、もっと相続税額を減額させることができるんじゃないかと。ユニバーサル税理士事務所が出した額より少なければ、母を説得できます。私が自分で選んだ税理士が、これまでの税理士事務所より良い仕事をしていることを示せば、私があなたに依頼することを母に納得させられると思うんですよ」

「つまりは、私の仕事ぶりを見てから税務申告の仕事を依頼なさりたいと」

「申し訳ありませんが、そういうことになります」そう言いながら、雄一は、書類の束を差し出した。10センチほどにもなろうかという厚さである。

「これが、息子が相続することになった土地の関連書類です」

風間はパラパラとめくってみた。土地の登記簿、地図、評価証明書といった資料だった。固定資産税を計算したらしき表計算ソフトをプリントアウトしたものも混じっていた。

「さすがに多いですね。で、いつまでに?」

「1ヶ月ほどで出来ますか?」

「これだけの量だと・・・。もし、私の出した試算額にご満足いただけない時は?」

「30万円はお支払いします」

風間としては少々渋い顔をせざるを得なかった。さすがに、試算だけとはいえ、これだけの土地の相続税額を計算して30万円では割が合わない。

「実は顧問のユニバーサル税理士事務所にも、同じように依頼してます。というか、母が依頼してしまったのですが。でも、私が納得しなかったら、他の人に頼むと息子が言っていたとは伝えてくれたようです。あなたの提示してくれた相続税額が、ユニバーサルの出した額より低ければ、まずはその10%を、あなたが税務署に申告してくれてそれが受理されたときに10%をお支払いします。いかがですか?」

「ある意味、成功報酬というわけですね」風間は考え込んだ。

不動産には疎いと謙遜してはいるが、これらの資料を見て何も解らないということはないだろう。弁護士が敢えて自分にセカンドオピニオンを求めている以上、より低い金額を私が出せると期待しているのだろう。ユニバーサルのいう納税額は5億から6億程度だという。依頼人で弁護士でもある雄一の眼から見て、節税が可能ではないかと考えている。だとすれば、仮に1億円ほど節税できれば、2000万円の報酬ということになる。5000万円の節税であっても1000万円。自分のような個人事務所としては、ありがたい金額である。風間の腹は決まった。

「わかりました。試算をお引き受けします。」

 

問題点

風間は、持ち帰った資料をじっくりと精査した。そして、問題点をいくつか見つけることができた。

まず、広大地の適用できる可能性が高い土地が、複数あったということだ。「広大地」とは、簡単に言えば、著しく広大な宅地(Y市の場合は500㎡以上)であって、一定の要件を満たした土地については、概ね50%以上の相続税が減額される。この「広大地」に該当するかどうかの判断はなかなか難しいことが多い。基本的には不動産鑑定士の意見書に基づいて判断する事になるが、最終的には税務署が「広大地」と認めるかどうかにかかっている。そのため通常、税理士は「広大地」として申告する事に慎重になる。税務署がその土地を広大地と認めなければ、申告した後に修正申告を求められて過少申告加算税や延滞税を納めなければならなくなるからである。

もっとも、広大地の評価については平成30年1月から大きく変更されることになる。しかし、雄一の父が亡くなったのはそれより前なので、今回の件については従来の広大地評価を利用できる。風間としてはありがたかった。

「一体評価」が可能な土地もあった。「一体評価」とは、マンションの隣接土地がそのマンションの駐車場であり、マンションの建つ土地の地目が宅地、駐車場の地目が雑種地だった場合、駐車場はあくまでもマンションに附属した用途に用いられるものであるから、宅地と雑種地を一体として評価し、全体を主たる用途というべき宅地として評価することが可能になる。宅地であれば、固定資産税は6分の1となる。つまり、これまで駐車場となっていた土地は雑種地として評価されていたのであるから、税額が6分の1になるということである。

過去の固定資産税についても石島雄一からFAXで送ってもらったが、過去20年にわたって、この一体評価はなされていなかったことを確認できた。これは、市役所側の評価の誤りといえるので、条例に基づいて納め過ぎた額の返還が可能となる。あくまでも過去に納め過ぎた固定資産税の還付であるから、厳密な意味では相続税が減額されるわけではないが、税額が減額されることには違いはない。

うまくいけば、実質的に1億円以上の節税が可能となる。広大地の評価については、大学時代の友人である不動産鑑定士である黒田に資料を送り、その意見を聴いたみたところ、彼も広大地として評価することは可能だろうとの返答だった。他にも、固定資産評価額と実勢価格があまりに乖離しているのではないかという土地もある。これについては、正式に不動産鑑定をしてみる必要があるが、評価の誤りとして審査を申し立てる余地がある。これが認められて固定資産評価額が低くなれば、税額も下がる。

これで石島雄一の、正確にはその息子の相続分についての試算は、目処がたったといえる。当然、より精緻な調査を要するものもあるが、正式に仕事を請け負う前のものとしては、これで十分な報告ができるだろう。不動産以外の財産に絡む試算も必要であるが、それは大した問題ではない。

しかし、風間には、どうしても気になることがあった。雄一から渡された資料の中に、相続税とは直接関係ない、石島家の資産管理会社が保有するマンションや社宅などの建物の資料、十数年分の収支計算書などもあったのだ。

弁護士である雄一が誤って入れたとは考え難い。これらの建物が建っている土地が相続の対象となっているとしても、建物自体の所有者は資産管理会社なのであるから、これらの建物が相続財産に含まれないのは自明だからだ。要は、これについても私の意見が欲しいということだろう。そもそも雄一は、税理士としての風間の能力を試そうとしている節が伺える以上、そう解釈する他なかった。

よく見ると、これらの建物は、石島家の不動産管理をしているという大久保の勤める建設会社が施工したものばかりだった。その上、半数以上が赤字だった。特に、ここ10年に建てた新築物件が酷かった。新築当初は満室だったマンションも、5~6年すると空室が生じ、中には3割以上が空室となっているものまである。立地をみても、駅から距離があるにも関わらず、十分な駐車場スペースがないものや、どう考えても必要以上に部屋数が多いもの、都心部の億ションのような豪華すぎる設備のマンションもあった。中には、サービス付の高齢者施設として建てたものの、10年も経たずに運営に行き詰まって運営者が退去してしまい、その後は転用が難しいため新たな借り手が現れず空き家状態となっているものもあった。建築当時に想定された賃料が得られない以上、建築費としての借入金の返済に不足した分については、借入金として石島家が負担していた。風間は、まるでバケツに空いた穴から水がボタボタと漏れているような印象を受けた。

これらの建物は、建築会社の営業マンであった大久保が、石島家に巧く取り入って、自らの点数稼ぎのために、必要以上に高い建築費で建てたものと考えざるを得ない。

***

風間は、向かいのビルに反射する夕陽に目を細めながら、席を立ち、カーテンを引いた。仕事机に戻ると、スタンドを点け、明日のために準備した資料を見直した。そして、資産管理会社の保有物件に関する資料だけを分けて、別にクリップで留めた。

税額の試算については、ほぼ満足のいくものとなった。これで、ユニバーサルの出す案よりも安くできたと思う。ただ、問題は、資産管理会社の保有物件についても話題に出すかどうかだ。

そこで、大久保が、石島家よりも自分ないし自社の利益を優先して、建物について企画提案していたことを指摘すべきか。あくまでも相続税についての依頼が前提である。相続の対象になっていない建物についてまで口出しするのもどうかという気もする。一方で、雄一が敢えてこの資料を渡したということは、この件についても意見を求めている可能性が高い。それに、自分と天秤にかけられているユニバーサル税理士事務所は大久保の紹介だという。だとすれば、大久保の仕事ぶりを糾弾することは、引いてはユニバーサル税理士事務所の信頼性を下げることにも繋がる。

雄一に何か考えがあって、自分に資産管理会社の保有物件についての資料を渡したのであれば、向こうがこの件を話題にするだろう。風間は、出たところ勝負だな、という気になった。

風間は、数枚の書類をコピー機でPDFという形式の電子データに変換すると、それを雄一宛にメールで送信してから、帰宅した。

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