実例紹介・お客様の声

当社に寄せられた数多くのお客様の声の中からいくつか厳選して実例としてご紹介いたします。

Vol.19英国からの依頼【短縮版】

プロローグ
 朝、不動産鑑定士・黒田の仕事は、メールのチェックから始まる。
 その日、1通の英文のメールが来ていた。件名には「Request Appraisal Report」、文頭には「To Kuroda Appraisal Office」とある。送ってきたのはイギリスの弁護士であった。イギリスには、barristerとsolicitorと2種類の弁護士がある。前者は法廷弁護士、後者は事務弁護士などと訳される。法廷で弁論を行うのはbarrister(バリスター)、依頼人に直接対応するのはsolicitor(ソリシター)である。今回のメールの送り主はsolicitorである。その依頼人は、メアリー・エバンス(Mary Evans)だという。
 メアリーとゴードンのエバンス夫妻の離婚が英国の家庭裁判所で争われている。英国では、離婚には必ず家庭裁判所(Family Court)の関与が必要となる。つまり、協議離婚はなく、裁判離婚しかない。その離婚裁判の中で財産分与について争われているというのだ。
 2人は、日本の飛騨高山で外国人向けのゲストハウスを経営していた。飛騨高山は、外国人にも人気の観光スポットだ。彼女らは、資金を出し合いゲストハウスを経営、相応の収益を上げていた。しかし、次第に夫婦仲は悪くなり、昨年末にメアリーは英国へ帰国。そして彼の地で、離婚訴訟を提起するに至ったという。
 今回の依頼に関わる問題は財産分与である。要するに、離婚に際して夫婦の財産をどう分けるかだ。具体的には、ゲストハウスが問題となっている。というのも、ゴードンは、今でも飛騨高山でそのゲストハウスを経営していて、今後も経営し続けたいという。建物はゴードンの単独名義であり、実際に費用を負担したのも彼だ。しかし、敷地はメアリーとゴードンの2人の共有名義で、持分は各2分の1ずつ。実際に費用も折半した。ゴードンがゲストハウスの経営を継続するというのであれば、メアリーの敷地の持分2分の1に相当する額をゴードンは財産分与としてメアリーに支払わねばならない。そこで、これらの物件の価格について鑑定して欲しいというのだ。

英国とのやり取り
 黒田は、引き受けることを前提ですぐに英文で返事を書いた。
まずは、どのような鑑定を希望するかを訊ねた。そちらから土地・建物に関する情報や資料を送って貰い、その範囲で現地に行くこと無く行う簡易査定か、それとも、現地へ調査に行った上で、より詳細なレポートを作成する本格的な鑑定かである。
弁護士からの返事は翌日届いた。それには、物件の資料と共に、さらに詳しい事情が記されていた。
そのゲストハウスは築8年で3階建。客室は6室。富裕層向けということもあって、なかなか内装もしっかりしており、キッチンも整った長期滞在も可能な部屋も用意されていた。夫婦で経営していた時の収支表も添えられていた。相応の収益を上げている。ゴードンが経営を続けたいと考えるのももっともなことだ。
そして、ゴードン側は、この土地を仲介した地元の不動産会社から土地建物の価格に関する査定を既に得て、それが裁判所に提出されているという。その不動産会社は名古屋に本拠を置いているが、外国人の経営で、愛知県及び岐阜県内の観光地で外国人向けに物件を斡旋しているそうだ。メアリーとゴードンは、この不動産会社から紹介されて、飛騨高山の土地を購入し、ゲストハウスを建てた。この不動産会社による査定は、土地が4100万円、建物が2800万円の合計6900万円。まずは、送付した資料を元に簡易査定を行って欲しいとのことだった。
黒田は、今週中に簡易査定の結果を送ると返信した。
それから2日後、黒田は早くも簡易査定の結果をイギリスの弁護士へ送った。結果は、土地が5400万円、建物は3100万円、合計で8500万円となった。高山市の郊外という好立地であることが幸いした。今後の収益も望める。飛騨高山を含む飛騨地方は、今では岐阜県だが、かつては飛騨国と呼ばれていた。高山市はその飛騨国の中心地。江戸時代の城下町の街並みをよく残しており、歴史情緒の溢れる景観から、ミシュランの旅行ガイドでも必見の観光地として3つ星を獲得している。
黒田としては、調べてみて改めて感じたのだが、地元の不動産会社が査定したという土地建物合計額の合計6900万円はやや廉価に過ぎるのではないかという印象を持った。その疑問も弁護士へのメールに付記しておいた。
翌日には、イギリスから返信があった。簡易査定の結果には満足したようで、現地調査を伴うより詳細な鑑定評価を依頼された。手応えを感じ、より説得力のある鑑定が欲しいということであろう。ゴードン側の弁護士を通じて、現地のゴードンが案内をしてくれるという。日本語もある程度はできるとのことだ。

現地調査
 飛騨の高山市までは、東京から新幹線で名古屋まで約1時間40分、そして名古屋から富山行の特急飛騨で2時間30分、なかなかの道のりである。昼の11時過ぎに、黒田が高山駅に着くと、ゴードンのゲストハウスでアルバイトをしている佐山が迎えに来ていた。
 佐山は、岐阜県内の大学に通う大学生で、飛騨高山が好きで、英語の勉強も兼ねてゴードンのゲストハウスでバイトをしているという。ゴードンには日本人の奥さんらしき人がいるそうだ。新しい恋人か。ただ、彼から聞く限り、ゴードンは人当たりの良い人のようだ。離婚訴訟の相手方から依頼を受けた不動産鑑定士にこうして迎えを寄越すくらいなのだから、意地の悪い人間では無さそうだ。
 問題のゲストハウスに到着すると、黒田は、ゴードンに挨拶し、さっそく彼の案内でゲストハウスを見て回った。ゴードンとは英語と日本語を交えた会話となったが、意思疎通に問題はなかった。手入れが行き届いており、建物としては極めて良好な状態だった。ひととおり建物を見て回った後は、周辺環境を調査しようと外出し、ゴードンと共に周囲を散策した。
 民宿やゲストハウスが数件あった。ゴードンが言うには、飛騨高山も外国人の観光客が増えており、そんな外国人客でゴードンのゲストハウスは賑わっているという。「やはり、ミシュランで3つ星の観光地ですからね」と黒田が言うと、「そうです。日本人よりも海外の人の方が、飛騨高山の価値をよく理解している」と、ゴードンは日本語で答えた。
 空地があったので、ゴードンに尋ねると、そこには外国人の別荘が建つ予定らしい。空地の奥に売り地の看板が無造作に置き捨てられていた。黒田は、なんとなく気になって、その看板をスマホで撮った。その不動産会社のことをゴードンに尋ねると、彼らが購入した土地を仲介したのもその不動産会社だったそうだ。つまりは、その会社が、英国の家庭裁判所にゴードン側の土地建物の価格に関する査定を提出したということだ。ゴードンが帰った後も、黒田は、暗くなるまで周囲を歩き回り、周辺の人の話も聞いた。

夕方、ゴードンに感謝の言葉を述べ、黒田はゲストハウスを後にした。高山市内のビジネスホテルで一泊後、翌日の午前中に高山の市街を軽く散策し、帰京の途についた。電車内では、昨夜から書き始めた鑑定評価書の作成を続けた。時間は無駄にできない。

不動産鑑定士と宅地建物取引業者
 鑑定価格は簡易査定時より若干上がり、土地が5675万円、建物が3325万円で合計9000万円となった。現地調査の甲斐があったというものだ。やはり、飛騨高山の観光地、そして別荘地としての市場価値は高い。さっそく出来上がった鑑定評価書を英訳し英国の弁護士に送信した。
 返信は、翌日届いた。鑑定評価書の内容には満足したようだった。しかし、次のような一文も付け加えられていた。
 What is the difference in appraisal between a lisenced real estate appraiser and a real estate agent?
 つまり、資格を有する不動産鑑定士と不動産仲介業者はどう違うのか?ということである。イギリスでは、不動産に関する各種調査を行うサーベイヤー(Surveyor)と呼ばれる職能がある。ただ、これには、日本でいうところの不動産鑑定士以外にも建築士や宅地建物取引士なども包含するものだという。そうした質問をしてくるのも理解できなくはない。黒田は返信を書いた。
 簡単にいえば、不動産仲介業者、すなわち、宅地建物取引業者は、宅地建物の売買やその代理、媒介の他、賃貸の代理、媒介等を業務として行う。彼らも、土地建物価格を査定することもあるが、それは、あくまでも自らのビジネスに付随した範囲で行うもので、中立性は期待し難い。自ら買い手や売り手になる場合はもとより、顧客との関係によって査定価格が左右され得るのは当然の成り行きであり、仲介で関与する場合も同様である。
 これに対して、不動産鑑定は、難しい国家試験に合格した資格者である不動産鑑定士が鑑定を行い、中立的かつ客観的な不動産価値の評価をサービスとして提供するものである。不動産鑑定士は、いわば不動産の価格等の評価それ自体の専門家である。鑑定評価に関しては法令等に違反した場合には重大な責任と罰則が課せられる。不動産鑑定士による不動産鑑定の信頼性はそうしたことによっても担保されている。そのため、裁判所において不動産価格が争点となる場合には、原則として不動産鑑定士による鑑定評価を行う必要がある。

証言とディスカッションと
 Thank you very much for your assistance through this process.
Kind regard
と返信があった。今回の手続きにご協力いただき感謝します。敬具。といった内容だ。鑑定評価書は、依頼人の要望に応えることができる内容だったはずだ。一件落着と、黒田は請求書を送るつもりでいた。
 しかし、そこへ思いがけないメールが届いた。なんと、オンラインで、英国の家庭裁判所において、鑑定意見について証言をして欲しいというのである。
 黒田は、日本の裁判所で同様の証言をした経験があったが、やはり相応に神経を使うものだ。英会話には相応の自信はあるものの、正直なところ不安もある。そして、何よりも今回は、時差のせいで深夜に証言しなければならない。翌日の仕事のことを考えると避けたい。黒田は、そうした事情を書いて、その日には証言できない旨を返答した。

 その日の夕方、黒田は、別件で知り合いの弁護士と打合せがあった。打合せが早く終わったので、軽く世間話という体の情報交換となった。
「ところで、名古屋の不動産会社というと半年くらい前に脱税で捕まった会社があったな」その弁護士が、ふと思い出したように、そんなことを口にした。
黒田の脳裏によぎったのは、高山市に現地調査に行ったとき、売地となってた空地に置き捨ててあった看板に出てた不動産会社だった。そうだ。何となく気になって写真を撮ったが、それは新聞かネットでその名を見ていたからだ。黒田は、自分のスマホからその画像を探しだして、弁護士に見せた。
「あ、それだよ。おそらくその会社だと思う」弁護士は、自分のスマホで検索して、ニュースページを開いて黒田に見せた。愛知の国税局が、その会社を脱税の疑いで愛知地方検察庁に告発したというニュースだった。黒田にも見覚えがあるページだった。

 数日後、英国の弁護士から再びメールが来た。なんと、今度は、日時はそちらの都合に合わせるので、ゴードン側の査定を作成した名古屋の不動産会社とディスカッションして欲しいというのだ。これは、裁判所からのオーダーだという。
英国の弁護士によれば、英語を母語とする外国人スタッフとディスカッションさせて、ポイントを挙げようとしているのかもしれないとのことだった。相手方が自分の英語力を見くびってディスカッションを求めているのなら、受けて立ちたいという気もするが、そんな自尊心は要注意だ。黒田は自分を戒めた。ある程度の英会話が出来るということと、英語を母語とする者とのディスカッションは別だ。むしろ、安易に受けて立つことこそ相手の術中だろう。黒田は、ディスカッションを断った。
ただ、断るにしても、相手はあくまでも自分の顧客の代理人である。断るだけでは申し訳ない。そこで、数日前に知った、名古屋の不動産会社のスキャンダルについて、記事の見出しと概略を英訳して送ってやった。むろん当該記事のURLも付けて。脱税をする会社の作成した査定価格である。その公正性が低下するのは免れないだろう。
 翌日、ディスカッションに参加いただけないのは残念だが、貴重な情報の提供に感謝するとの返信メールが届いた。

エピローグ
 しばらくした後、弁護士から連絡があった。無事、離婚が成立し、ゲストハウスの敷地についても、メアリー側の主張、つまり黒田が作成した鑑定評価が採用されたという。例の脱税の情報は、査定価格を含めた相手方の価格査定の信用性を下げるのに一役買ったようだ。

 それから2ヶ月程経った頃、黒田鑑定事務所に依頼人メアリーからエアメールが届いた。感謝の気持ちを伝えるため、敢えてペンで認め、エアメールを送る次第とのことであった。離婚が成立し、相応の財産分与を受けることができ、新しいパートナーもできた。その喜びが伝わってくる。そうした内容だった。
メアリーさん再婚したのか。ん?パートナー?黒田はメアリーからのエアメールを読み直した。Civil Partnership? シビル・パートナーシップ?
封筒の中には写真が入っていた。そこには笑顔の2人の女性が写っていた。ジーンズに白いTシャツを着た黒髪のロングヘアの白人女性はメアリーだろう。物件の写真に写っていたのを見たことがある。その隣には、ランニングシャツにショートパンツからスラリとした足がのびた陸上選手と思しきブロンドのショートヘアの白人女性が写っていた。
「前に英国の離婚裁判について鑑定の依頼があったろ。その依頼人からお礼状が届いたよ」黒田はそう言い、手紙を訳したメモと一緒に手紙と写真を、近くにいた女性事務員に手渡した。彼女がそれに目を通すと「え、何?うそー」と声を上げた。それに釣られてか、「え、なになに」「これってLGBT?」と彼女の声に釣られて他の者も集まってきて手紙や写真をのぞき込んでいる。
相手方のゴードンには既に日本人女性の奥さんらしき人がいると飛騨高山駅に迎えにきた佐山から聞いていたので、黒田は、離婚の原因はゴードンの浮気だと思っていた。もっとも、ゴードンは、離婚裁判の相手方が依頼した鑑定士にわざわざ迎えを寄越すなど好人物であった。もしかして、離婚の主な原因はメアリーがレズビアンだったことなのか。でも、男性であるゴードンと結婚していたわけだろ。
「世界は広い」とりあえず黒田は、そういうことにしておいた。

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