実例紹介・お客様の声

当社に寄せられた数多くのお客様の声の中からいくつか厳選して実例としてご紹介いたします。

Vol.17拒絶と妥協【短縮版】

プロローグ
 5月、連休明けのある晴れた日。黒田不動産鑑定事務所の若手不動産鑑定士・栗山が、所長の黒田に向かって不機嫌そうに話していた。
「だいたい言ってる事がお互いに極端なんですよ。一方はどの土地も絶対に売りたくないって言って、もう一方は全部まとめて売却すべきだとか。そんな自分の希望だけを一方的に相手にぶつけてどうしようというんですか」
 栗山が憮然とするのも無理もないか。黒田はそう思わざるを得なかった。事の発端は、1ヶ月半程前の3月下旬、まだ肌寒さが残る日のことだった。

依頼人
  その日、黒田の事務所を和泉義夫という名の男性が訪れた。その依頼の内容は、彼が姉弟3人で共有する土地等の鑑定だった。
 応接室で、和泉から渡された公図を見ながら、黒田は考え込んでいた。隣の栗山は登記情報をめくっていた。それは、赤坂にある6筆の土地であり、その全てを和泉姉弟3人が共有していた。
「私の姉、柳子(りゅうこ)と申しますが、離婚して実家に戻っていたこともありまして、最後まで私らの両親の面倒を見てきました。そのせいもあって、父は遺言で遺産の不動産5分の2を姉に遺したのです。姉弟は3人なので法定相続では3分の1ずつですが、姉が10分の4、私が10分3、妹の康子が10分の3という共有持分になっています。その相続分自体に私も妹も特に異存は無いのですが、いかんせん共有地です。私ら姉弟3人の共有ならば特に問題はないのですが、姉は74才。私も今年71になりました。今は健康ですが、いずれはこの土地を私らの子らが相続するときがきます。今でさえ、10分の4、10分3、10分の3という共有持分であるところに、子供たちが相続したら、それがまた細分化されて7人もしくは8人の共有となることもあり得るわけです。ですから、できればこれらの土地を売却したいと思いまして」和泉からは、こう説明を受けた。
「ご主旨は概ね理解できました。これらの土地にご親族の方は住んでおられないのですね」黒田が訊ねた。
「はい。ただこの土地には、私たち3人が相続したマンションが建っており、他の土地も全て他人に貸していて、賃料は引退後の私たちの主な収入源になっています」
「でしたら、全て売却して現金化するというのも、相続対策として選択肢の1つだと思います」
「そうですよね」和泉義夫が明るい表情になった。
「はい。でも、これらの土地の売却価格といっても、底地ですと、借地人に売却する場合や、そうではない第三者に売却する場合では、想定される価格も異なってきますが?」
「いや、今すぐに売却というわけではありません。まずは、それぞれの底地の価格と、マンションも同時に売却する予定ですので、その建物についても鑑定をお願いしたいと」
「承りました。ただ、6筆と1棟ともなると少々お時間をいただきたいと思います。概ね1ヶ月くらい。できましたら、ご連絡いたします」
「そうですか。よろしくお願いします。それと、鑑定価格が出たら、それを私の姉にも説明していただけませんでしょうか?」
「それは構いません。お姉様も当然、価格等は知っておくべきですし」そう言いつつ、黒田は少し引っかかるものを感じた。
「はい。ただ、その時は姉の自宅でお願いしたいのです。むろんお時間を取らせますので、その日当も当然お支払いいたします」
「わかりました」黒田は承諾した。
 和泉義夫が帰った後、黒田が栗山に言った。
「もしかしたら、土地の売却の件、お姉さんは納得していないのではないのかな。取り越し苦労ならいいんだけどね」

拒絶
  そして数週間後、鑑定結果が出た。その内容をすぐに和泉に報告した。そして、5月の初旬、連休の谷間に黒田と栗山は、和泉と一緒に姉の柳子のマンションへと向かった。
 黒田らは応接室と思しき部屋に通され、品の良い着物姿の老女が椅子に腰を下ろした。和泉の姉、柳子だ。その表情は心なしか険しいものを感じさせた。
 互いに挨拶が済むと、「それで義夫、赤坂の土地のことでお話しとは?わざわざ不動産鑑定士の先生方までお呼びして」と話しを切り出した。
 和泉が、今後のことを考えると共有を解消した方がよいと説明しながら、姉弟の共有地の売却を持ちかけた。
「イヤよ」間髪を入れずに柳子は答えた。
「そういうと思ったよ。だから、こうして鑑定士の先生にも来て貰ったんだ」
 柳子の目が黒田たちの方へ向けられた。
「そうですか。せっかくおいでいただいたのですから、先生方のお話を伺いましょう」
「それでは…」柳子に促されて、黒田は、6筆の土地とマンションの立地や、価格に影響を与える事情などをできるだけ解り易く話し始めた。栗山が必要に応じて地図や資料を柳子の前に差し出し、底地や建物の価格を説明した。
「結果としてマンションとその敷地を一緒に売却する101番地の2が最も良い価格となります。もっとも、他の土地も底地価格ですが、住んでいる方々に立ち退いてもらい、数筆を一括して売却するということにでもなれば、より高く売れるでしょう。相応の立退料を支払ったとしても、その方がお手元に残る額はより多くなるかと思われます。仮にこの99番地の2と100番地を…」
「解りました。高く売れるというのは解りました。でも、私は売りません」きっぱりと言い切った。話しの腰を折られた形になった黒田たちも、その見事といっても良い毅然とした物言いに返す言葉がなかった。部屋に沈黙が流れた。
 和泉義夫は、姉を説得しようと言葉を重ねた。
 柳子が背筋を伸ばして、厳しい表情になった。
「あの土地は、私たち和泉家にとってはとても大切な土地なの。和泉家は、徳川家康公がまだ三河国の小さな大名にすぎなかった頃から家康公第一の功臣、酒井左衛門尉忠次様にごひいきにしていただいた商家。私たちのご先祖はそれがご縁となって、以来、浜松、駿府、そして江戸と、常に徳川様に従って移り住み、その時々、酒井様、徳川様の御用を務めていた商家なのです。江戸に移ってきたときは今の市ヶ谷にお屋敷を賜って、江戸でも商いを続けたのよ。そんなことすら忘れていたの、義夫」
「いつの時代の話しだよ」義夫は半ば呆れたように呟いた。
「そうね。時代は変わったわ。御一新の後、お殿様から下げ渡されたのがあの土地なのです。そう容易く手放せるものではありません。少なくとも私の目が黒いうちは嫌です。あの土地は、今でも私たちの生活を支えてくれる」
「現金だって、生活を支えてくれるよ」義夫はもはやすがるような物言いになっていた。
「あの、6筆全部売らなくても…」そう栗山が言いかけた時、黒田はそっと制した。
「私は売りません。どうして私の持分も売りたいのなら、私が死んだ後に、私の息子たちを説得なさい。あの土地を売りたかったら、まずはあなた方が私より長生きすることね」
 しばらく押し問答が続いたが、結局、その日はそのまま物別れに終わった。

 黒田たちは、義夫と一緒に柳子のマンションを出た。道すがら「お見苦しいところをお目にかけました」義夫が申し訳なさそうに言った。
「いえ、こちらこそお力になれず」黒田は答えた。
「妹は売却に賛成してくれてますが、姉が反対するのは、何となく解っていたのです。姉は、歴史が好きで、大学も史学科を出たくらいです。昔はうちにも家系図とかいろいろ古い文献があったようなのですが、空襲で焼けてしまい、姉の話しもどこまで本当なのか、今となっては。それにしても、何か良い説得方法はないものでしょうか」姉との押し問答に疲れたのか、力のない物言いだった。
「考えてみます」黒田が答えた。
「よろしくお願いします」

妥協案
 事務所に戻るなり、栗山が憤懣やるかたないという様子で話し始めた。
「それにしても、お姉さんは売らないの一点張り。義夫さんは売ろうと言うだけ。1つの土地じゃないんですよ。6筆もあるんですよ。何も全部を一度に売らなくてもいいんですよ。そんな自分の希望だけを一方的に相手にぶつけてどうしようというんですか」
「まあまあ」
「少しは妥協するということも・・・」
「そう、妥協点だよね」黒田が頷いた。
「全部売ることはないんですよ」そう言いながら、栗山が自分のカバンから書類を取り出した。
「例の等価交換と親族間売買だね」
「ええ。先生にも事前に伝えておいたのに、提案しようとしたら止めるし」栗山の不満はそこにもあった。
「いや、妙案も提案するタイミングがあるから」
「ですよねえ」あの雰囲気の中で等価交換の話しを持ち出しても、それをじっくりと考えてくれるような雰囲気でなかったことは、今になると栗山にも理解できた。
 黒田と栗山は、まずは依頼者である義夫の意向に沿った売却案を説明したが、実は、売却以外の解決策として「等価交換」と「親族間売買」によるプランを事前に用意していた。
「等価交換」とは、今回のように同じ人が共有する複数の土地がある場合──相続によってこうした形の共有地が生じる事は往々にしてあることだが──例えば、甲地と乙地をAとBの2人が共有していたとして、甲地のAの持分と乙地のBの持分を交換して、甲地をBの単独所有に、乙地をAの単独所有とするといった手法だ。
 とはいえ、それぞれの持分を常に等価で交換できるとは限らない。そうした場合には差分を金銭で補う。この和泉家の事案では、2筆ずつの土地、計4筆の土地ではほぼ等価での交換が可能であったが、売却予定のマンションが建つ土地を除いた、もう1つの土地は、共有関係を解消するには、どちらかに共有持分を買い取ってもらわねばならない。それは親族間での取引となる。これが「親族間売買」だ。
「親族間売買」に法律上は特段の規制があるわけではないが、相続税を逃れる方法として、生前に安く親族に不動産を売却するようなことが行われやすいため、税務署からあるべき価格と当該安価な価格との差額につき贈与税が課される恐れがある。そこで、親族間が売買する際は、原則として鑑定評価額によるべきものとなる。
 栗山の用意したプランは、6筆の土地のうちマンションがある土地を除いた5筆のうち4筆の持分をそれぞれ交換して、2筆の土地を姉・柳子の単独所有に、2筆の土地を義夫と康子の共有とすることを前提とするプランだった。これらは、鑑定の結果、ほぼ等価で交換できる。ただ、マンションとその敷地と他の残る1筆では、うまく等価交換はできない。そこで、マンションと敷地は第三者に売却するとして、残る1筆は、姉の柳子か、義夫・康子の兄妹が他方の持分を買い取ることになる。そこが「親族間売買」となるのだ。どちらが買い取るかは、和泉姉弟に決めてもらうしかない。
 このプランであれば、柳子は少なくとも2筆の土地を所有し続けることができる。他方、売却を望む義夫と康子は2人の共有となった土地を共同して土地を売却すればよい。売却するマンションは3人の共有のままであるが、これについては、借地人に退去してもらい更地として売却するも良し、借地人に底地を買い取ってもらうも良し。とはいえ、一部の土地を手放すという意味では、姉・柳子に納得してもらう必要があることに変わりはない。
「もう少し、この等価交換のプランを練ってみようか」黒田が言った。
「あ、そうだ。柳子さんに納得してもらうための良い考えがあります。うちに江戸時代の古地図とかありませんでしたか?」
「都内の古地図なら少しはあるけど、あの場所のはあるかなぁ」黒田が自信無さそうに答えた。

説得
 数日後、栗山が神田の古書店街で手に入れてきた古地図を元に、等価交換のプランに修正を加え、その内容を黒田がメールで義夫に伝えた。すぐに電話がかかってきた。義夫としては問題ないが、やはり姉が納得してくれるかどうかが心配だという。
「ところで、マンションとその敷地についてですが・・・」
「ええ、はい」と黒田はうなずいた。義夫から何か提案を受けているようだ。
「そうですか、解りました。その方向で。はい。では、お姉様には私どもからご説明させていただきます」黒田は、受話器を置いた。

 黒田と栗山が柳子のマンションを再訪した。義夫は同行しなかった。黒田たちだけで説明して欲しいと頼まれたのである。
「今日は先生方だけですか。ご用件は前と同じですか。そうでしたら、お返事に変わりはありません」前回と同じ応接室に通された後、柳子の方から切り出してきた。相変わらず厳しい表情だ。
「はい。ですが、全く同じというわけではありません。どうか、こちらをご覧下さい」黒田がそう言うと、栗山が資料を柳子の前に差し出した。
等価交換のプランについて栗山が説明を始めた。ゆっくりと、説明のための図を何枚も出しながら、丁寧に説明していった。親族間売買の対象となる土地については、柳子の持分を義夫と康子で買い取る方向で伝えた。柳子は、真剣な眼差しで説明を聞き入っていた。

 20201022_1.jpg「内容は解りました。この土地を持ち続けたいという私の希望を叶えつつ、義夫たちの売却したいという要望にも沿ったものという、いわゆる妥協案ですか」
「はい」黒田と栗山が一緒に答えた。
「そして、こちらをご覧下さい。これは文化・文政の頃の古地図と思われます」栗山が、古書店で求めた古地図を広げた。すると、柳子は席を立ち、分厚い書籍を持って戻ってきた。そして、その書籍をめくりながら話し出した。
「この古地図のここに辛巳(かのとみ)という文字があります。これはたぶん辛巳の年ということでしょう。だとすれば、文政4年、西暦1821年ですね。その頃、文化・文政年間は化政文化といって町人文化が栄えた時代で、東洲斎写楽や東海道中膝栗毛で有名な十返舎一九が活躍していた頃よ。その当時の地図らしいわね。でも紙質からして、きっと複製品ね」
「大学の史学科をお出になられているとは伺いましたが、さすがにお詳しいですね」栗山が感心して言った。
「これでも、若い頃は高校で教師をしていましたので」柳子が答えた。これまで見せたことのない柔和な表情だった。栗山は話しを続けた。
「それで、おそらくこの古地図によると、この辺りが酒井家のお屋敷があったと思われます。この古地図から正確な位置までは解りかねますが、おそらくは、柳子様の単独所有としてご提案させていただいた土地がここにあたるのではないかと」
「そうね。通りがそれほど大きく変わってないとすれば、きっとそうね」
「ふふ、私に気を使ってくれたのね」柳子は、笑顔でそう付け加えた。
「ところで、等価交換の対象となっていない、こちらの土地についてですが」栗山が言いかけると、すかさず柳子が答えた。
「そういうことでしたら、この土地は、義夫たちが買い取っても構いません」と付け加えた。その顔に黒田と栗山はホッとした。
「それと、義夫様が仰るには、この、ご姉弟で共有されているマンションと敷地は、しばらくこのままにしておこう、とのことでした。ここからの収入は、お姉さんの生活費にとっても大切だろうし、とも」そう黒田が告げた。
「そう。共有のままでいいというのね。あの子が…。解りました。これでけっこうです。この段取りで進めて下さい。そう義夫に伝えてください」そう小さく呟く柳子の目が潤んでいるようだった。
 等価交換の作業や持分買取の決済等については義夫さんたちとも相談して段取りを決めることとして、黒田と栗山は柳子のマンションを辞去した。

エピローグ
 「あのマンションをそのままにしておこうと提案したとき、柳子さん、少し涙ぐんでいませんでしたか」帰りの地下鉄の中で、栗山が訊ねた。
「そうかも。義夫さんが言うには、共有地を全部売ってしまうのは、どこか姉弟の縁を切ろうと言ってるように思われたのではないか、という言うんだよ。あの人にそんな意図はなかったのだけど、もしかしたら柳子さんにはそう思われたのかも、とね」
「そうですか。でも、今日の説明は緊張して疲れましたよ」
「そうだろうね。もう16時を過ぎてるし、今日はこのまま帰っていいよ」
「いや、事務所に戻って、契約書作成の準備だけはしておきますよ」
「じゃ、よろしく頼むよ」

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