実例紹介・お客様の声

当社に寄せられた数多くのお客様の声の中からいくつか厳選して実例としてご紹介いたします。

Vol.16土地の記憶【短縮版】

(1)前置き
 その土地をその人が所有している経緯にはさまざまな事情があるものです。先祖伝来の土地もあれば、ごく当たり前に不動産屋さんを通して、それまで何の縁もなかった人から買い受けた土地等々。今回の案件は、祖父から父を経て相続した土地ですが、その土地に隠された記憶に不思議な感慨を抱いたものです。

(2)依頼内容
 それは、母親から相続した賃借権をどのように処理すべきか、というものでした。
20201022_1.jpg 高級住宅地に南北に並んだ3筆の土地がありました。もっとも南にあって公道に接している土地、これを3番地。そして北へ2番地、1番地と並び、1番地は私道として3番地が接している公道に伸びています。2番地は、この私道を通らないと公道には出られません。私道分を除いても1番地が最も広い。
 このような土地の配置のなか、直接公道に接してない2番地を、依頼人とその姉、そして亡くなった母親が共有していました。そして、その南側の3番地を賃借し、母親名義の自宅が建てられていました。3番地の賃借人名義は母親でした。3番地の賃貸人である、1番地と3番地を所有する地主さんは、79才の高齢だが、かなり元気とのこと。
 母親からの相続については、2番地は姉と2分の1ずつ相続し、建物については依頼人が単独で相続しました。姉弟間で特に問題なく話はまとまったそうです。依頼人とその姉が共有する土地に依頼人名義の建物があることについては、使用貸借ということで姉と合意したとのこと。但し、既婚の姉が夫と喧嘩した時は、文句を言わず迎えろ、とのことだそうです。姉弟の仲が良いというのは良いことです。
 問題は、依頼人が相続した自宅は、姉と共有の2番地と地主から賃借した3番地に建っていたのですが、これを建て替えるにあたって、3番地についての賃貸借関係を解消できないか、ということでした。その理由について問うと、依頼人はこう答えました。
「地主さんは、いわゆるお隣さんでもあるので、これといったトラブルがあるという訳でもありません。ですが、苦手と言ったら良いのでしょうか…。まだ私が中学生の頃だったかと思いますが、地主さんがうちに訪ねてこられて、父とどうやら3番地の賃料について話し合いをしていたようなのです。夜も遅くなった頃だったと思うのですが、私が2階から降りてきて応接間の前を通ると、『いいから、賃料については黙って俺の言ったとおりにすればいいんだよ!』と大声で怒鳴る地主さんの声が聞こえまして…私にとっては少々苦手とでも申しましょうか…今後も賃料の値上げを要求されたりして、ああいうことを言われるのは嫌だなぁ、と」

(3)底地買取と等価交換
 とにもかくにも、私どもとしては、その依頼に応じ、2つの方法を提案しました。
20201022_2.jpg 1つは、3番地の底地を買い取ることです。「底地」とは、土地から賃借権を除いた部分と理解すればよいでしょう。すなわち、土地を賃借していれば、その土地の使用権は既に持っているということです。賃借権の価格は、場所によって異なりますが、このケースの場合は、土地全体の価格の5割とか6割くらいの価値があると考えられます。そこで、賃借人が賃借地を買い取る場合には、土地の評価額からその賃借権の価格分を差し引いた、いわゆる底地価格で買い取ることが可能となるのです。
 もう1つは、その3番地の底地と、2番地の一部の所有権の等価交換です。
これは、地主の持つ3番地の底地と、依頼人の所有する2番地の一部、むろん1番地に接している部分ですが、これらを交換するということです。等しい価格で交換しようというのですから、等価交換と呼ぶわけです。物々交換ですから、依頼人の方で代金は直接支払う必要はありません。

(4)地主
 土地の価格等を調査し、金額その他につき2つのプランを詰め、2週間ほど後、依頼人と共に地主さんのお宅を訪問しました。
 地主さんの家は、やや古いものの造りはしっかりとした木造2階建てで、高級住宅地に400㎡を超える土地を所有する地主にしては、調度品等は質素な印象でした。地主さんは、79才という高齢に拘わらず、かくしゃくとされた方でした。
 私たちとしては、地主さんにとっては、まるで飛び地のようになっている3番地よりも、隣接する2番地の1部を取得された方が、土地の価値も上がる上、利用するについても利便性が高まるのではないか等と説明をしました。こちらの説明の内容は、ご理解いただけたようなのですが、「少し…考えさせていただけませんか」地主さんは、難しい顔をしながら、そう告げたのでした。

 数日後、驚いたことに、今度は地主さんが私の事務所を訪れました。
地主さんは言いました。
「単刀直入にお伺いします。先日の件ですが、等価交換にしろ、買取りにしろ、要するに、私らとの賃貸借関係を解消したいという意向なのでしょうか」そして、依頼人からは、その理由について何か聴いていないかと問いかけてきました。
こちらとしても、お客様との会話の内容をお話しすることはできないと答えると、「これは失礼しました。では、まず、私の方からお話しします。その上で、問題ないとお考えになられたら、お話ししていただけませんでしょうか」と言い、依頼人の祖父と、地主さんの父親との話を始めました。
「実は、現在、彼らが住んでいるあの土地は、終戦直後に私の父が、彼のお祖父様へ贈与したものなのです。それも…」

(5)誤解
 アジア・太平洋戦争の末期、地主の父と依頼人の祖父は、中国派遣軍で同じ分隊に属していたそうです。地主さんのお話は、次のようなものでした。
激しい戦闘の中、地主の父は左足を敵の砲弾で吹き飛ばされ、依頼人の祖父は、重傷を負った彼を背負い撤退。さらに20キロ離れた野戦病院まで運び、結果、地主の父の命は救われたのです。2人は野戦病院で別れたまま、終戦を迎えました。
再会したのは、昭和20年の12月。左足を失ったものの、怪我も癒えた地主の父が松葉杖を突きながら日本橋の闇市に出かけた時に、復員したばかりの依頼人の祖父と再会したそうです。彼の妻、つまり依頼人の祖母も一緒だったそうです。
 地主さんの父親は、自宅も妻の実家も焼けてしまい住む家がないという命の恩人に、自分の土地の一部を譲ったそうです。はじめは固辞されたそうです。「君に助けられた命だ。このまま君と分かれてしまっては、却って私に悔いが残る。私に悔いを残さんでくれ。お願いだ」という言葉を、当時まだ子供だった地主さんは今でも覚えているそうです。こうした真摯な説得に、依頼人の父も申し出を受けてくれました。その後の2つの家族の生活は順調でした。間もなく、依頼人の父も生まれ、地主さんと依頼人の父上は、まるで兄弟のように育ったそうです。
 私は、依頼人が中学生時代に、地主さんの怒鳴り声を聞いたことを伝えました。
 聴けば、それは、土地の価格が高騰したバブル景気の頃、依頼人の父が「3番地の賃料が安すぎるから、もう少し払いますよ」と言ってきたのに対して、地主さんは「その必要はない」と返答し、お酒が入っていたこともあって、押し問答の末に、つい大声を出してしまったとのことでした。
 知らぬこととはいえ、子供時代の依頼人がそれを聴いていたということを知り、「申し訳ないことをしました」と、うつむいてしまいました。

(6)解決
 数日後、私は、地主さんに頼まれ、このことを依頼人へ伝えました。
 彼は、自分の父親と地主さんが懇意であることは知っていましたが、戦時中の出来事までは知らなかったそうです。3番地の賃料がかなり低廉だったことは、父母らの会話からそれとなく察していたようでした。そのせいか、中学生の時に聴いた古山の怒鳴り声は、賃料の値上げを迫っていたのだとばかり思っていたというのです。

 そして、依頼人と地主さんは、腹をわって話し合うことができました。
 その結果、依頼人には賃貸借関係の解消を積極的に望む気持ちはなくなっていましたが、地主さんは先々のことを考えれば、3番地は依頼人に譲るべきと考えたようです。そして、2番地と3番地と合わせたよりも広い1番地に、さらに2番地の一部が自分のものとなっても、空き地になるが関の山だからという地主さんは言い、等価交換ではなく、3番地の底地を地主さんから依頼人が買い取ることとなりました。
 その後、売り手がより安く、買い手がより高くという、通常とは違う価格交渉となってしまい、私は戸惑いましたが、最終的には、私の出した鑑定価格で落ち着きました。

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