実例紹介・お客様の声

当社に寄せられた数多くのお客様の声の中からいくつか厳選して実例としてご紹介いたします。

Vol.9思い出の樹 ダイジェスト版

(1) 前提となる土地の権利関係
 もうすぐ50才の大台に乗ろうという歳になって、初めて姉と怒鳴りあいの喧嘩をしてしまいました。原因は、土地の相続です。

 かつて私たちの父は、約450平米の土地──仮に今山50番地としましょう──を所有していました。そこに100平米ほどの一軒家があり、私たち家族が住んでいました。
 私は大学を卒業後、出版社に勤めるようになり、家を出ました。姉は結婚し、父の土地の一部を借りて、そこに彼女の夫が家を建て、夫婦で住んでいました。
 しかし、姉は8年前に離婚。彼女の夫が建てた家は、財産分与として姉に譲られました。姉は画家でしたので、その家をアトリエ兼自宅として使っています。そして、離婚直後、父は、そのアトリエがある土地(120平米)を姉に生前贈与し、今山50番地は、母屋の建つ今山50番地の1(330平米)、姉のアトリエが建つ今山50番地の2(120平米)に分筆されました。結果として、50番地の2の土地と建物は姉の所有となり、50番地の1(330平米)に建つ母屋には、父と母が住んでいました。

 姉が離婚した翌年(7年前)、父が癌で亡くなったのです。母は、知り合いの行政書士に相談し、50番地の1(330平米)の3分の2を母が、3分の1を私が相続するという内容の遺産協議書を作成しました。姉は生前贈与を受けており、それは特別受益にあたることから、土地については相続分はないということになったのです。

 しかし、その2年後、母も亡くなりました。それが2ヶ月前のことです。私は、土地については法定相続分どおり、50番地の1の母の持分(3分の2)を姉と半分ずつ相続することになったのです。思い出の樹 結果として姉は、既に贈与を受けた120平米と合わせて、230平米分を相続し、弟の私は、父から相続した3分の1と母から相続した分を合わせて220平米分を相続することになりました。もともと父が所有していた450平米の土地を姉弟でほぼ半分ずつ相続することとなったのです。

(2) 姉との相続争い
 私は、50番地の1の持分3分の2を相続したわけですが、既にマンションを所有し、夫婦でそこに住んでいましたので、母が住んでいた家に戻る気はありませんでした。そのうえ私には、現金を必要とする事情がありました。そのため、今山50番地の1の持分を売却したいと考えました。不動産業者に相談したところ、姉の住む50番地の2(120平米)と私と姉の共有となった50番地の1を一緒に売却すれば、3億円前後で売却が可能とのことでした。

 そこで、私は、姉に50番地の1と50番地の2を一緒に売却することを提案しました。一緒に売却した方が高く売却できるからです。しかし、姉はこれを拒否しました。そこで私は、50番地の1のみの売却を提案しましたが、これも拒否したのです。土地は売りたくないの一点張りでした。 思い出の樹50番地の1は姉との共有ですから、姉が協力してくれなければ、たとえ私の持分だけであっても売却はほぼ不可能です。姉の身勝手な言い分に私は腹を立て、売り言葉と買い言葉が重なり、最後には大声で怒鳴り合うような喧嘩になってしまいました。姉とこんな喧嘩をしたのは、生まれて初めてのことでした。

(3) 相談
 姉は、その後、土地の相続について司法書士に相談に行ったようです。その司法書士から私に連絡あり、詳しい話を聴きたいと言われ、私は彼の事務所を訊ねました。
 司法書士が言うには、姉が土地を売りたがらない理由は、50番地の1の東側にある古い大きな樹だとのことでした。思えば、その樹の前で遊ぶ幼い姉と自分の絵が姉のアトリエに飾ってありました。それは、私たちの祖父が描いたものです。あの樹が、姉にとってかけがえのない思い出の樹なのだと、今さらながらに気付きました。
 父からの相続、母からの相続というような場合を二次相続といい、両親が共に亡くなると、いわば歯止めがなくなり、兄弟で相続争いが生じるのは決して珍しいことではないそうです。

 司法書士は、その樹を姉に渡すような形で50番地の1を分筆して、私が相続した分を売ればよいのではないかと提案されました。さらに、土地の分筆には土地の価値をきちんと査定する必要があるからと、不動産鑑定士を紹介してくれました。
 司法書士が紹介してくれた不動産鑑定士は、土地の分割案を示した上で、分筆のために必要な測量や分筆の手続に必要な見積もりもしてくれました。50番地の1を上手に分割すれば、それ相応の値段で売れそうだということです。司法書士からも不動産鑑定士からも、姉とよく話し合うよう言われました。
 実は、私が土地を売却しようとしたのは、私が新たな事業を始めるため、それ相応のまとまった資金が必要だったからです。つい先日、その事業への新たな融資を申し出てくる方も現れ、私自身が用意しなければならない資金は、当初より少なくて済みそうな状況となってきました。

(4) 姉との和解
 分割案を持って、姉のアトリエを訊ねました。姉は、あの思い出の樹の前で私を待っていました。私は、喧嘩したときのことを姉に詫びました。姉も、そのことは、もう気にしていないようでした。私は、新たな事業を始めるために資金が必要なことを姉に話しました。

 私は、出版社に勤めていましたが、その出版社が業務縮小のため、私の所属する部署を廃止もしくは売却する必要が生じたのです。そうしたタイミングで母が亡くなりました。私は、母から相続する土地を売却すれば、ある程度の資金ができると考え、これまでの仕事を続けていくために、自分でその部署を買い取る決心をしました。いわゆるMBOです。ただ、母の死を、自分の仕事に利用しているような、どこか後ろめたいような気がして、どうしても、そのことを姉に言えなかったのです。

思い出の樹 でも、姉が、この土地にこだわる理由を知った以上、私が資金を必要とする理由も姉に伝えなければならないと考え、思い切って、この話をしました。姉は、理解してくれました。そういうことに遺産を使うのであれば、父も母も喜んでくれるだろうとも言ってくれたのです。

(5) 解決
 不動産鑑定士のプランに従い、50番地の1は、50番地の1(220平米)と50番地の3(110平米)に分筆登記され、相続による所有権移転の登記をしました。私の所有となった50番地の1は相応の価格で売却できました。思い出の樹がある50番地の3は、姉の名義となりました。50番地の3の売却に伴い、父母たちとの思い出が残る家が取り壊されました。少し寂しい思いもありましたが、新たな道を歩み出そうという時には、旧い思い出を整理する必要もあるのだろうと考えることにしました。

 売却した資金で、私は小さな出版社の経営者となることができました。姉とも昔のような仲の良い姉弟に戻り、今では自分の実家となった姉のアトリエをよく訊ねるようになりました。
 相続をめぐる対立というのは、多くの場合、血の繋がった人、親しかった人との間で起きます。かわいさ余って憎さ百倍という言葉がありますが、そうならないためにも、相続をめぐる意見の違いがあるときは、早めに第三者に相談する意味は十分にあると思いました。第三者と話すことによって、自分も冷静になれますし、事態を正確に把握するきっかけにもなります。

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